5日目、登りは真っ暗な道をひたすら前へ。
4日目登山後に燃え尽きた故に親切なガイドに対して暴言を吐いてまで睡眠時間を確保したので体力は50%近くまで復活しましたが疲れていることに変わりありません。この暴言は帰国後も「日本人として失礼な態度であった」ことが悔やまれますが、ある意味「目的を果たすために止むなし」です。寝ないと死んじゃうから。
で、この辺りの標高になると皆様が書かれている通り仲間を思いやるゆとりが無くなり、各々が自分の体調に合わせて行動するしかありません。
いよいよサミットへアタックという日なんですが、マチャメゲートではあれだけ賑やかだったテントが気がつけば確かに半分ぐらいに減っているような気も…。初日豪快に抜き去った中国チームを4日目以降目にすることはありませんでした。
5日目に関してはちょっとしたハプニングも生じたため2回に分けてメモします。今回は前半の登山編で、続きは下山編です。
登山5日目の登りの感想
◾️5日目ルート(登り)
4,673mのバラフキャンプを後にし5,730mのステラポイント、5,895mのウフルポイントを目指します。一般的には5kmを7時間で踏破する日です。高度差は約1,000mですが高度は5,000mを越しますからキリマンジャロ登山の最難関であることは間違いありません。
ですが、改めて距離と時間だけを見ると登れそうですよね。今までと違うことは「真夜中に高度5,000mを越えること」だけです。たったそれだけなのに超難関でした。
登りの景色は全く分からない状況ですが、歩いた感想は要所要所で「これって勾配50度ぐらいあるんじゃないの」と感じるぐらいキツく感じたポイントが数ヶ所ありました。下山時に「よくこんな場所を真っ暗な中で登ったな」と思う感じです。
◾️5日目登山時の装備
上着はTシャツ、長袖シャツ、パーカー、ライトダウンという4枚。ほぼ4日目と同じ装備です。パンツは普通に履いていました。タイツも持参していたのですが結果として登山中一度も履くことなく下山。ということで4日目も5日目も装備は一緒です。
ただ誰もが書かれている通りマイナス10度前後の環境ですから、頭は帽子を被り、更にニットを被り、更にパーカーのフードという3枚重ね。フードも前側は口元までジッパーで隠せるタイプですから外気に触れるのは目元ぐらいです。完全防備でアタック。
確かに寒い環境ではありましたが雨季や雪の行軍では無いですし、着込んで歩けば汗もかくわけで、さほど寒さを意識しませんでしたが止まれば風をともに受けるので極寒です。
ずいぶん前に書きましたが2018年1-2月の日本は今までになく寒い冬だったこともあり山頂4,000mを越えて0度とか-10度と言っても日本と大差ないですよね。というか北海道ともなれば大雪ですからキリマンジャロ山頂よりも寒いぐらいです。そういう時期に登ったこともあってか「そうそう、今の日本はこんな感じ」とか思いながら登っていました。
直ぐに順応できるという意味で日本の寒さと大差ない2月にキリマンジャロ登山はおすすめできますが、日本の1-2月はインフルエンザが大流行する時期なんですね。これに引っかかると体調が戻るのに7-10日ぐらいは必要になりますから、風邪には要注意です。
◾️歩行スピードと所要時間
普通は夜中0時頃に出発することが多いようですが、私たちは4日目のバラフキャンプ到着が2時間遅れたこともあり0時50分に出発しました。周りのテントの様子や遥か先に見える先行者のライトの明かりの雰囲気からして我々が最後の出発だったと思います。
少し話がそれますがこの時生涯忘れないと思うほど印象的だったのは星空。
下ばかり見て歩くのはつまらないので何度も空を見上げていたのですが高度5,000m辺りから肉眼で見る星の数たるや…。ニュージーランドのテカポ湖とかハワイのマウナケアも綺麗ですが、目的は星空観察ではなく登山という状況なのに登山してることを忘れるほど満天の星空。その後続く旅の道中でも感動理由を考えた結論は「人工物が一切視界に入らない場所で眺められる」感動だと思います。人生で自然と一体化した唯一の時間。
もとい。真っ暗な中を歩きますからライトが当たらない場所の様子は全く分かりませんし、自分がどんな場所を歩いているのかサッパリの状況。
歩行スピードが遅いことは間違いありません。
ゆっくりゆっくり。
ゆっくりペースでも息が切れます。
案外足場の悪いところを進んでおり、かっちり体力を消耗します。
このペースで「7時間でたどり着けるのか?」というぐらいゆっくりでした。それもそのはず。頂上の位置が確認できないぐらい下の位置で夜が明け始め、「ん?これ、だいぶ遅くないか?」というペースでした。
更に時間の感覚が麻痺していました。記録を見ると4,673mを出発したのは「00:50」ですが5,000m到着は「03:05」です。標高差が約330mの距離を2時間15分かけて歩いていました。かなり遅いペースなんですが、それよりも自分が2時間以上歩いてることに驚愕。自分では3-40分歩いた感覚。完全に体内時計が麻痺。本当にびっくりしたのを覚えています。
しかしね、ガイドは私たちのペースを察してくれてるわけです。初日から書いてます通り、概ね私たちのペースは平均より遅くなる傾向でしたから、サミット攻略での到着遅延はガイドにとっては想定の範囲内であったという余裕すら感じました。ステラまでの所要時間は約9時間です。
◾️真夜中の登山と到着後
バディも同様ですが、やたらと目の乾燥を感じました。目は無防備なので仕方がないのですが、寝不足も合間って何度も目をこすりながら歩きました。バディは途中で「目が見えない」ということで(たぶん2回)目薬を点したぐらいの乾燥。前にも書きましたが私なんて「近視+乱視+老眼」ですから真っ暗闇が更に霞んでる状態でした。ステラまでの休憩は計5回です。
我々はいつもながら遅いチームではありますがとっくの昔に夜が明け、お昼の方が近い時間帯ではあってもなんとか到着した時には達成感よりも疲労感が勝る余裕の無さでした。2月のキリマンジャロの日の出は6時半頃ですが、その時点でステラポイントは全く視界に入っておらず…この辺りの歩行感覚は富士登山と一緒で「あと少しなのに着かない」感じです。
ステラポイント到着時、他のパーティーもいたので我々だけの寂しい雰囲気ではありませんたでしたがさすがにノックアウト。正直言って感動に浸るような余裕ゼロでした。
バディもほとんど寝ないでステラまでたどり着いたわけで、初日から積算しても確実に睡眠不足状態でたどり着いたのですから疲労もピークを通り越していたと思います。お疲れ様でした。
ゴールがウフルであることは理解していましたが、バディはその場で横になりクールダウン。記念写真を撮った後にウフルを目指すか相談したところ「…ここでもいいかな…」という反応。分かりますよ、そのお気持ち。
私も「10回は立ち寝しそうになった」「10回はコケそうになった」「3回足を滑らせて危なかった」と記録しています。つまり意識が朦朧としながら歩いてるわけです。これを称して高山病と言うのですが、意識が完全に飛ぶほどの状態ではありませんでした。しかし自分ではしっかりしてると思っていても体がついてこないので本当に危ないと感じることが3回ありましたが、3回とも真後ろを歩くサブガイドのマサイが私の腕を掴むんですよ。ガチッと。
山のガイドって本当に凄いですね。
ガイドにとって高度6,000m環境がどの程度の負担かは個人差があると思いますが、自分に余力がないとアシストできないことですし、本当に有り難いと感じました。
私のステラ到着時の頭の中はというと、この旅を計画中にデイヴィッドから届いた「2人がサミットに到達できるよう私たちは全力を尽くす」というメールを思い出していました。まさに有言実行のチームです。
We will help you to ensure you make the top of Kilimanjaro .
ということで、バディはステラポイントをゴールとし、私は勢いでウフルまで行くことにしました。ウフルまでは片道45-60分の往復。標高差たったの165mは確かにキツかった。よく他の著名な山で「たった1歩進むのに何分も時間が…」なんてことを聞きますが、その入門レベルを体験した感じでした。
前日の4時間睡眠でキープした50%の体力も残り10-15%といった感じ。
結局ウフルまでの所要時間は約10時間です。
◾️消費水量
登りの消費量は1ℓ未満でした。まぁ寒い中ですし高山病予防が大事とはいっても飲めば体が冷えますから飲みたい気分にはなりません。喉の渇きと汗だけを意識し、ウフルまで往復し終わった時点で丁度1ℓ減った感じでした。
でね、キリマンジャロ登山で「アタック時にハイドレーションは凍るからボトル持参が◎」的なことも書かれており「実際のところどーなの?」と思いつつ2ℓボトルと2ℓハイドレーションの二刀流で挑んだわけですが、確かにハイドレーションのチューブは凍っていました。とは言っても飲めましたけどね。これが別の時期の登山だと役に立たないこともあると思います。
0度になれば水が凍るのは当たり前なんですが、そういうことを実体験していないとにわかには信じがたく、それだけ素人感覚で挑戦したわけですが、それも日の出と共に急速解凍されますから、私たちの場合で言えば約5時間は人間の行動に適さない環境を耐える必要があった訳で…やはり頂上を目指す夜中の行軍装備だけは充実させる重要性も学びました。
◾️高山病対策
前日までの対策が良かったのか、取り立てて気になるような症状は一切なくステラとウフル間を往復することが出来ましたが、さすがに歩けばスピードに関係なくどこでもゼーゼー言う辛さ。それだけ空気が薄い場所です。
サブガイドのマサイはウフルに至っても家の近所を散歩している如く歩いてる感じで、何度も来ている場所で心得た行動と分かっていても終始「凄っ」という言葉しか思いつきませんでした。それぐらい平然と歩きますよね。
ただね、「高山病にならなかったのか?」というと、実はこの後でバッチリ高山病に苦しみました。つまりこの登山で一通りのことは体験したのでした。
高山病、本当に恐ろしいですね。高山病になったらアタック出来ないということを身をもって体験しました。
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