小噺 : リビングストン博物館は意外と面白かった

アフリカ

アフリカでデイビッド・リビングストンを讃える博物館はいくつかあるようですが、ザンビアがご本家と思われます。館内のメモによると1934年設立と書かれていましたから今から84年のことですが、それでも当人が亡くなって半世紀以上後のことですね。

入場料5US$…ちょっと高いけど…

ここも偶然通りかかったので入ってみました。ひとり旅は自由気ままです。

ザンビア史が堪能できる博物館

入口で5US$(10クワチャ)を払って中へ。当初はリビングストン氏の功績を讃えた内容のみだったらしいですが少しずつ手が加えられ、今ではザンビアの歴史、風土、経済、政治、自然、文化が学べる構成になっており、そのオマケでリビングストン氏ゆかりのものが展示されている感じです。この日も数名の学生が社会見学中でした。

真面目に見るとかなり時間がかかるかも…

アフリカ文明初期の人骨や土器、矢じり展示や動物の剥製ゾーンは興味も薄くじっくり見ませんでしたが、政治や近代文化、大統領の変遷、奴隷貿易に関しては興味深く拝見しました。第一次世界大戦の頃に使われた大砲も置いてありましたが「こんなおもちゃみたいなもので人殺しとか…今と比べれば(戦争兵器だけど)平和だなぁ」とか。

リビングストンゆかりの品は1室にまとめられていますがじっくり見るとかなりのボリュームがあります。というか、そもそも「リビングストンって誰よ」という方も多いと思います。子供の頃に図書室で借りて読んでいる確率が高いにも関わらず大人になったら全て忘れてますね。

David Livingstone[1813 – 1873]

デイビッド・リビングストンは冒険家や探検家という認識ですが、それは後付けの話しで、元々は宣教師です。しかしアフリカで奴隷貿易の様子も目にし「そげなことしとっちゃーイカンやろ」なんて旅している時にザンベジ川でビクトリアの滝を見つけた人。

日本では浦賀沖にペリーがやって来て「国を開けなさぁ〜い」なんて言われてる頃の人ですが、その頃のアフリカ地図を見るとビクトリアの滝がある場所は国ではなく巨大な島の中心部に過ぎない場所へ乗り込んで行って、今のアフリカ地図の礎を築いた人です。それよりも約40年前には伊能忠敬が日本地図を作ったわけですが…早い話が今から200年前は自分が地球のどこにいるか分からずに生きていた時代の人です。

File:1855 Colton Map of Southern Africa – Geographicus – AfricaSouth-c-1855.jpg – Wikimedia Commons

ここにはリビングストンの手紙(複製かもしれないけど)が30枚ぐらい展示してあったので興味深く拝見しました。だってね、今から200年前のアフリカの僻地情報が綴られ、それが海を越えて配達され、未だ残っているというのが「凄いなぁ」とか思いつつ…。

凄すぎる移動距離…

中でも釘告げになったのが足跡が分かる地図。アフリカを3回旅していることが一目で分かるものですが、今見れば「へー」なんですが、当時これをやるのは至難の業だったと思います。特に川沿い移動出来ない場所は水が無いので大変。リビングストン自身もライオンに襲われて負傷したそうですし…怖いですよね…アフリカのジャングル移動…。

こんな牙にやられます…

ということでビクトリアの滝を見終わった後で約2時間かけてリビングストンの勉強をしたメモでした。ちなみに国立国会図書館デジタルコレクションで『リヴィングストン言行録(姉歯準平編 内外出版協会 1908)』を無料で読むことができます。

どの国に行っても博物館は面白い!

I determined never to stop until I had come to the end and achieved my purpose.  – David Livingstone

終わるまで決して止めないと決心した。そうしたら自分の目的を達成した。

 

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